- 2014-01-20 (月) 13:59
平成25年11月30日(土)に、創立90周年記念 第18回文化講演会が行われました。
今年度の文化講演会は、創立90周年を記念し、陸前高田市の戸羽市長をお迎えしての文化講演会でした。
文化講演会は、2部構成で行われ、第1部では「陸前高田の被災状況と今、そして復興へ」と題して戸羽市長の講演がありました。
第2部では、戸羽市長に講演して頂くにあたって講演交渉など講演会の実現に尽力して下さった本校の卒業生でもあるコラムニストのヒミ*オカジマ氏との対談が行われました。
文化講演会に向けての筑陽学園の取組み
本校では文化講演会の開催に向けて、様々な取り組みをしてきました。
陸前高田市図書館ゆめプロジェクトへの参加
生徒会とインターアクト部が中心となって、陸前高田市図書館ゆめプロジェクトに参加しました。
全校で読み終えた本や使わなくなった本を集めました。
モニュメントの作成・各種写真・ポスター展示
またデザイン科では、陸前高田市の復興を願って、モニュメントを作成。
復興への願いをシルクスクリーン印刷で刷った飾り付けを作りました。
玄関ホールから会場の視聴覚ホールまでの廊下に東日本大震災関連の写真やポスターを展示しました。
- 陸前高田市企画部まちづくり戦略室よりお借りした「被災前と被災後」写真展
- NPO法人九州救助犬協会 活動状況の展示
- 「復興の狼煙」ポスターの展示
- 本校職員(毛利先生)による「私が見た被災地」写真展
このように文化講演会に向けて、学校全体で盛り上げてきました。
戸羽市長の講演が実現できた経緯
ヒミ*オカジマさんは本校の卒業生です。
当時担任をされていた毛利先生が2年ほど前からFacebookを通じて連絡を取り合うようになったそうです。
1年前の同窓会をキッカケにさらに、頻繁に連絡を取り合うようになり、ヒミ*オカジマさんから「陸前高田市の戸羽市長は素晴らしい方なので、筑陽学園で講演会の講師として呼んではいかがですか?」と提案があったそうです。
何度も「呼びましょう!呼びましょう!」とヒミ*オカジマさんの提案に、文化講演会での講演が実現しました。
また、ヒミ*オカジマさんには、戸羽市長へ講演の依頼や打合せなど、文化講演会の開催に向けて尽力して頂きました。
第1部「陸前高田の被災状況と今、そして復興へ」
「復興を1日も早くというのが被災者の願いです。
しかし、何かをする場合、法律や憲法など様々なルールある。
そうしたルールがあるために、被災者と国との間で感覚が違っていることが大きな問題である。」
これまで復興の現場で指揮を取られてきた戸羽市長の復興に対する感想から始まりました。
一人の力ではどうにもならいない。
戸羽市長は、2011年2月13日から市長の任期に入り、1ヶ月もたたない3月11日に東日本大震災に遭遇されました。
戸羽市長自身も、奥様を亡くされ、家を流され、絶望のどん底。
子供を連れて逃げようと本気で思ったこともあったそうです。
しかし、現在までやってこれたのは、頭の切り替えが出来たからです。
やらなければならないことや、やりたいことがあった場合、何でも自分でするのではなく、できる人お願いする。
人に頼ることにしました。
協力してくれる仲間を増やしていくことが復興の一番の近道だと考えるようになったからだそうです。
「そう思うようになったのは、ヒミ*オカジマ氏との出会いがキッカケでした。」
とヒミ*オカジマさんの方を見て、ニコニコしながら話されました。
どのように、情報発信していくか?
復興をしていくなかで、東日本大震災や陸前高田市のことを忘れられていくことが怖いことです。
いかに上手に情報を発信していくことが重要になってきます。
戸羽市長の友人でもある佐賀県武雄市の樋渡市長がインターネット上のSNS「Facebook」を活用して、武雄市の情報を上手に発信をしていました。
陸前高田市もFacebookを利用して情報を発信しようしましたが、スタッフの高齢化ということもあり、反対意見があったそうです。
しかし、頭を切り替えて、出来る人にお願いする。協力してくれる仲間を増やす。ということで、武雄市の職員に1年半ほど、陸前高田市に来ていただいてfacebookの立ち上げから、市のPR等を手伝って頂いたそうです。
一本松の保存にかける思い。復興における「希望の象徴」
一本松を残すことにも、多額の費用もかかるので、すごく反対がありました。
メディアや報道にも、叩かれました。
被災の状況の中、ポジティブな言葉が出てこない。前向きな言葉が出てこない。
こうした状況の中でも、我々は、前を向いて進まなければならない。
そうした時、希望の象徴が必要だと考えました。
陸前高田市の希望の象徴と言えば「一本松」しかない。
と戸羽市長は決断し、一本松の保存に取組まれました。
一本松の保存に多額の費用がかかり、これを税金ではなく、全国はもちろん、世界中の一本松を応援してくださるる人たちから募金を集められました。
募金をした人は、一本松のことを覚えてくれる。
募金を通じて、多くの方とつながることが大切なことです。
戸羽市長は、一本松の保存にも「人とのつながり」を大切にされ取組まれました。
またこの一本松には、多くの方々から応援して頂いているようです。
アンパンマンの作者である、やなせたかし先生も一本松を大変気に入っておられ、Facebookで募金を呼びかける際にも
メッセージ付きで一本松のイラストを描いていただき協力して頂いたそうです。
戸羽市長が描く復興の最終的な形
陸前高田市の復興は、「人とのつながり」が大きなキーワード(ポイント)になっています。
この「人とのつながり」を子供達の世代にも、つなげていくこと。
市長とヒミ*オカジマさん、市長と筑陽学園、市長と福岡・九州というのではなく陸前高田市の皆と福岡市の皆、陸前高田市の皆と九州の皆というように、つながっていくことが最終的な復興の形だと熱く語られました。
現在の陸前高田市の問題
現在、高台を造成するために、山を削ってます。そから出る土砂の置き場がなく苦労しています。
陸前高田市は、町が流され、だだっ広い土地はあります。
しかし、その土地には、地権者がいます。
そこに土砂を置くためには、地権者一人一人に承諾(ハンコ)をもらわなければならない状態です。
市外や県外の地権者、あるいは地権者が亡くなっている場合等、いろいろな状況があるので、なかなか進まないそうです。
「この被災地と国の感覚の違いが復興を遅らせていると思います。」と現在の問題を語られました。
陸前高田市の今後のまちづくりについて
復興のコンセプトは「世界に誇れる美しいまちの創造」
「景観の美しい」ということもありますが「ノーマライゼーションという言葉が必要のないまちづくり」というコンセプトがあるそうです。(ノーマライゼーションとは、障害がある人も、ない人もみんな同じという考え方。)
陸前高田市の復興(世界に誇れる美しいまちの創造)は、陸前高田市民の気持ち、心の問題だと思います。
相手の立場に立ち、笑顔に出会える街にしていきたいと思っています。
このように、復興に向けての抱負を述べられました。
戸羽市長からのメッセージ
年月が経つにつれて、東日本大震災や被災地のことが皆さんの記憶からも薄れていきています。
まだ、復興が始まったばかりです。
皆さんから、忘れられることが一番恐れていることです。
これからも、引き続き応援をよろしくお願いします。
このように戸羽市長は第1部を締めくくられました。
第2部 戸羽市長とヒミ*オカジマ氏 特別対談
第2部の戸羽市長とヒミ*オカジマさん対談では、
- ヒミ*オカジマさんが何度もお弁当を届けるためだけにNYから陸前高田市へ行っていたこと。
- 戸羽市長と心の距離を縮めるために、福岡に来ていただいた時のこと。
- 判断と決断についてのこと。
- 「支援」という言葉をやめて、「応援」にしましょうということ。
など、復興に関するエピソードの対談でしたが、生徒を含め私たちが生きていく上でも大変参考になる内容でもありました。
一部、対談のコメントを紹介します。
NYと陸前高田市の距離について
ヒミ*オカジマさん
最初のころは、お弁当を届けるだけにNYから陸前高田市に何度も行ってたんですよ。
何が遠いのかと思った時に、距離の問題ではなく、心の距離の問題だと思ったんですよ。
どこか何か人ごとのように最初は感じていたんです。
それは、東北に友だちがいなかったからなんですよ。
判断と決断について
ヒミ*オカジマさん
被災地の足を運ぶということが、非常に大事。
何ができる、できないは置いておいて。
とりあえず、感じることが大事です。
もっと言うと、自分の無力さを知る。人間は、その無力ささえ知らない。
その上で、自分で何ができるか?自分に問う。
人にどうこうしてもらうということではなく、自分で決める。
自分の言葉に責任を持って生きて行くことが大事になる。
これは、陸前高田市だからということではなく。
人生において、自分が自分の言葉で決断していく。
戸羽市長
決断という言葉が出たので、判断と決断について。
判断とは、みんな同じ方向を向くことなんです。
例えば、AとB二つのケーキがあって、10人中9人がAが美味しいと言えば
勝手にAの方が美味しいんだと思っています。これが判断です。
決断は、世の中がなんて言ったって、自分が信じた道を行かなければならない時がありますよね。
自分らしく生きるためには、絶対的に決断が必要なんです。
「支援」という言葉について
戸羽市長
佐賀県武雄市の樋渡市長とお話をした時に樋渡市長が言われたのは、「支援」という言葉をやめましょう。
「支援」と聞くとハードルが高いですよね。
何かボランティアしないと被災地と関わってはいけないんじゃないのかとか。
そうじゃくて、「応援」にしましょう。
応援だったら「がんばれ!」って言うのも、応援だよってなる。
我々被災者が求めているのは、そういうことなんです。
ヒミ*オカジマさん
忘れないこと。
声をかけること。
寄り添うこと。
このことが大切。
これは言い換えれば、誰でもできることじゃないかと思います。
戸羽市長・ヒミ*オカジマさんからのメッセージ
ヒミ*オカジマさんからのメッセージ
人生は全部、自作自演。
全部、自分で作っている。
こうした中で生きていけば、もっと違った世界が作っていけるのではないかと感じます。
戸羽市長からのメッセージ
人は、金太郎飴のように同じになる必要はなく、自分の信じた道を行けばいいことだと思います。
家族とか友だちとか自分の周りには目配りしていって欲しいと思います。
戸羽市長・ヒミ*オカジマさんからのメッセージをいただき講演会・対談を締めくくられました。
講演会を終えて
文化講演会後、生徒を代表して3年B組の栗原瞭くんが
実際の東北の被害状況を知ることができました。
私たちも中学3年生のニュージーランド語学研修で大地震に合い被災しました。
どんな苦しいときでも、周りの人と助け合って生きることの大切さを身をもって感じることができました。
陸前高田市や東北が復興することで日本全体が活気づくことと思います。
陸前高田市・東北の復興を心より祈っています。
と挨拶をしました。
またインターアクト部の合田紗希さんより「陸前高田市図書館ゆめプロジェクト」の途中報告がありました。
3週間ほどで、1236册の本が集まりました。
たくさんの生徒が本を持ってきてくれる姿を見て、一人一人の力が集まれば、大きな力になるのだということを強く感じました。
これからもこの活動を続け、少しでも早く夢と希望であふれる図書館が再建されること願っています。
と報告しました。
最後に
戸羽市長、ヒミ*オカジマさん、お忙しい中、福岡までお越し頂き講演してくださり、ありがとうございました。
陸前高田市や東北の復興の状況や問題点、復興への抱負など貴重なお話を聞くことができました。
また、生きていく上でも大変参考になるお話も聞くことできました。
ありがとうございました。
文化講演会当日の復興支援募金のお礼と報告
文化講演会当日に「陸前高田復興支援募金」の呼びかけをさせていただきました。
多くの方々のご協力をいただき17,337円の募金が寄せられました。
お寄せいただいた募金は、陸前高田市災害対策本部へお送り致しました。
皆様からの温かいご協力をいただき、本当にありがとうございました。
講師の紹介
陸前高田市長 戸羽 太 氏
1965年1月2日神奈川県松田町生まれ。
東京都町田市で育ち、会社勤務の後、陸前高田市に移住。市議会議員、副市長を経て2011年2月6日に陸前高田市長に当選。
その約1ヶ月後3月11日東日本大震災が発生。想定外の大津波が陸前高田市に押し寄せ、市街地が壊滅した。
自身も家が流され、妻が行方不明になるも、懸命に陣頭指揮にあたり、冷静沈着に国への提言を続け、ゆるぎない信念を持って尽力する姿勢は「真のリーダー」と呼び名も高い。
今後のまちづくりの考え方、復興のコンセプトは「世界に誇れる美しいまちの創造」を目指している。
ヒミ*オカジマ 氏
筑陽学園卒業。
7年前、金もコネもなく、自らの意図と会話力だけで世界の激戦区NYマンハッタンにレストラン「HAKATATONTON」をオープン。
アメリカフード界のアカデミー賞ともいわれるTime Out NY Foodアワード受賞、NYミッシュラン5年連続受賞。
東北大震災直後、松阪市の山中市長と武雄市の樋渡市長が発起人となり結成されたハートタウンミッションに招聘され、陸前高田市の戸羽市長と出会い、今では良き戦友として被災地支援に準じ応援をしている。
HiMi NY Corp 代表取締役&CEO / HAKATATONTONオーナー /フードプロ総合アカデミー講師/コラムニスト/
九州SAMURAIの会 発起人・主宰/福岡県サンフランシスコ事務所 NETWORKING COORDINATOR /
美人トーキング塾 主宰・講師/